司馬遼太郎記念館

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開館時間:10:00~17:00
(入館受付は16:30まで)

休館日:毎週月曜(祝日の場合は開館し翌日休館)、9/1~9/10、12/28~1/4

TEL:06-6726-3860

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入館料:大人800円、高・中学生400円、小学生300円(20名以上の団体は入館料が2割引)

司馬遼太郎フェローシップ

これまでの受賞企画

最新の受賞企画(敬称略)

第27回フェローシップ(2023年度)

船橋櫂(朋優学院高等学校)

企画テーマ
「関東・京都・奈良のカモ神社調査 ~今も残る古代カモ族の息吹を感じる~」

 『街道をゆく』を読むうちに、度々出てくる「カモ氏」とよばれる古代の人々の話に興味を惹かれた。「カモ」と名のつく土地について調べ、カモ族の由来や痕跡などさまざまな疑問を解くことで古代の息遣いが聞こえてくるのではないかと考えた。各地のカモ神社や「カモ」と名のつく地に足を運び、立地以外の特徴を含め、より多くの情報を集めたい。さらにできるだけ多くの史料に目を通し、自分なりの考えを報告としてまとめたい。

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(敬称略)

第26回フェローシップ(2022年度)

平田 京妃
「ベトナムの文化から考察する健康・ダイエット」

 ベトナムの文化や価値観に興味を持ち、文献を探していて、司馬さんの『人間の集団について ベトナムから考える』(中公文庫)に出逢った。自ら旅をし、実際に文化を感じること、学ぶことの大切さが分かった。ベトナム人には痩せがたが多いことを知り、摂食障害に悩んだ経験から、ベトナム人の「健康・ダイエット」について関心を持った。ベトナムの衣食住について、さまざまな面から調査を行い、生活習慣や文化を体感したい。また、この調査を通じてベトナムの人々の生活や文化を理解するきっかけをもたらしたい。

※「遼」91号にレポートの要約が掲載されています。


第25回フェローシップ(2021年度)


第25回フェローシップの贈賞者に該当者はありません。

第24回フェローシップ(2020年度)

畠田 桜和
「組織運営や内部抗争に見る新選組」

 中学生の時に初めて『燃えよ剣』を読み新選組に魅了され、組織・運営に興味をもった。新選組が拡大し、勢力を強めていく過程で、どのような組織運営がなされていたのか、ゆかりの地を訪ねるとともに史料を調べ探求したい。新選組は天然理心流や神道無念流、北辰一刀流など様々な道場、流派の剣客が集まった集団である。それぞれの道場、流派の特徴について調べることで、新選組内部の対立などが浮かびあがるのではないか、と考えている。

※「遼」83号にレポートの要約が掲載されています。


第23回フェローシップ(2019年度)


第23回フェローシップの贈賞者に該当者はありません。

第22回フェローシップ(2018年度)

西島 春乃
「大坂の俠客、明石屋万吉の生き方 ―― 幕末から現代へのメッセージ」

 文楽がきっかけで映画や小説などで俠客の世界を扱った作品に興味を抱くようになり、司馬さんの『俄(にわか) ―― 浪華遊俠伝』に出逢った。かつての大坂に存在した明石屋万吉という人物について改めてもっとたくさんの方々に知ってもらいたいと思った。実際の万吉の人物像、残した功績を調べ、その生き方から現代の人々にも通じるメッセージを読み解きたい。その過程で江戸時代から現代において大阪庶民の魂に深く根づく精神性にも迫ってゆきたい。
 また、『俄 ―― 浪華遊俠伝』を文楽の狂言として戯曲化したいと思っている。

※「遼」75号にレポートの要約が掲載されています。


第21回フェローシップ(2017年度)

西脇 彩央
「横井大平と熊本洋学校 ~ 歴史に埋もれた礎を探る ~」

 『「明治」という国家』などで横井小楠に興味をもち、調べすすめるうちに小楠の甥の横井大平という人物を知った。横井大平は幕末の熊本藩士で、アメリカに留学、帰国後に熊本洋学校開校に尽力するが、開校直前に亡くなっている。
 各地の図書館や博物館を訪ね、日記や書簡などの文献資料を調査することで、横井大平の小楠との関わり、留学生活、熊本洋学校設立への思い、熊本洋学校の生徒たちが近代日本社会の形成に与えた影響、あわせて幕末の志をいだく若者の気分などを考察したい。

※「遼」71号にレポートの要約が掲載されています。


第20回フェローシップ(2016年度)

谷 倖帆
「戦国最大の鉄砲集団・雑賀党の始まりから終わりまで」

  雑賀孫市についての一般的なイメージは司馬遼太郎の『尻啖え孫市』に大きな影響をうけていることを知り、雑賀党に興味をもった。
 雑賀党がどのような経緯で和歌の浦周辺に居住するようになったのか、雑賀党が日本史の表舞台に現れて消えるまでの軌跡を関連する土地へ足を運んで調査したい。
 今回の調査で雑賀党に注目することにより、天下に立ち向かった人々の強さを伝えたいと考えている。

※「遼」67号にレポートの要約が掲載されています。


第19回フェローシップ(2015年度)

沈韻之
「華族女学校と振華女中から見る中日近代女子教育」

 司馬さんの『坂の上の雲』を読み、ドラマを見て、明治時代の日本の女性の教育に興味を持った。
 明治時代の日本の女学校は「良妻賢母」が教育目標であり、学校教育を受けても妻や母親としての社会的価値しか認められなかった。近代中国の女子教育は社会進出をめざすもので、卒業生は教育、医療、科学、文学など様々な分野で活躍している。
 日本の華族女学校と中国の振華女中の二つの女学校のカリキュラムの内容、校則・校訓、卒業生の進路、社会的影響、近代化の過程を調べ、中国と日本の近代女子教育観念の異同を比較したい。

※「遼」63号にレポートの要約が掲載されています。

西脇祥子
「先人たちの『遺産』千枚田を巡る」

 大学で千枚田を研究しているなかで、司馬さんが農業や農業土木に関心を持っていたことを聞き、『街道をゆく』や関連する作品を読んだ。
 司馬さんの言葉を胸に高知・檮(ゆす)原(はら)の千枚田を訪れ、オーナー制度を取り入れ、代々千枚田を営んできた方々と他地方からの新たな農業従事者が協力して千枚田を守っている新しい農業のかたちを知った。
 減反政策やコメ消費の減少、農家の高齢化などによって千枚田の多くが耕作放棄地となっている今、各地の千枚田を訪れ、農業を営む方々の千枚田への思い入れや手入れ方法などを調べ、オーナー制度も含めて千枚田を守る手段について考えたい。

※「遼」63号にレポートの要約が掲載されています。


第18回(2014年度)

石井宏樹
「オスマンの古民家と、植物の彩色絵を巡る旅」

 司馬さんの初期の短編『兜率天(とそつてん)の巡礼』、『戈壁(ゴビ)の匈奴』を読んで、司馬さんの尽きることのない好奇心と、人々の生の息吹を感じ取ろうとする姿勢に感銘を受けた。トルコで、オスマン時代の古民家に描かれた、鮮やかな色彩の植物の彩色絵に興味を持ち、オスマンの地方史や地域文化などについて大学で研究してきた。
 今度はトルコの古民家をめぐって彩色絵を探し、文明としてのオスマンが持つ魅力、普遍性、人々の生き方を探り、文化性や一つの文明としての性質を明らかにしたい。大家族のための家である古民家をめぐることで家族の持つ普遍性のようなことが見つかるのではないかと考える。

※「遼」59号にレポートの要約が掲載されています。


第17回(2013年度)

曽我しずく
「『街道をゆく』から35年後の砥部焼の現状・愛媛文化の特徴について」

 『街道をゆく 14 南伊予・西土佐の道』を読み、司馬さんが砥部焼の窯元を訪れた際、砥部焼について他にない個性を見出していること、砥部や伊予に排他性がないと述べている点に関心を持った。
 戦後の砥部焼復興から現在に至るまでの過程を調査し、そのうえで他の地域の焼き物の窯元も訪れ、砥部焼との比較を通じて、砥部焼の個性について考察したい。
 あわせて愛媛全体の風土、県民性、文化の特徴を調査し、伊予に他県人への排他性がないことの理由を考えつつ今後の文化の生かし方を検討したい。

※「遼」55号にレポートの要約が掲載されています。


第16回(2012年度)

伊藤遥
「ボルネオで地球環境を考える」

 中学時代から司馬作品を読んで、自然と人間との関係に興味を持ち、その調和のためには法の力が不可欠だと考え、国際法を勉強したいと思った。環境問題が注目されるにつれ、なかでも国際環境法の分野が発展し、数々の条約で環境保全の国際的枠組みが作られてはいるが、未解決の問題も多い。現場を見て国際法の役割を考えるため、ボルネオで熱帯雨林が抱える問題を考えたい。
 ボルネオ島のマレーシア・サバ州の熱帯雨林は世界で最も生物多様性の高い場所である。だが、森林伐採やパーム油生産のための大規模農園の拡大により熱帯雨林は失われ、ボルネオにしかいないオランウータンやテングザルは絶滅の危機に瀕している。現地ではオランウータン・リハビリテーション・センターやパーム農園、自然保護区などを訪れ、『二十一世紀に生きる君たちへ』に書かれた「自然へのすなおな態度」を胸にきざみながら、問題をいかに解決できるか考えたい。

※「遼」51号にレポートの要約が掲載されています。

東康太
「ロシアにおける日本の食文化の普及と理解度の調査・研究」

 ロシアでは古くから料理に対する関心が高く、今日でも古今東西さまざまな料理本が並び、日本食に関する書籍も出版されはじめている。ロシアにおける日本の食文化の普及具合と理解度を調査し、ロシアが日本を如何に見てきたか、そして自分もロシアから日本を見ることによって新しい発見を得たい。『ロシアについて』を読んでその意をいっそう強くした。
 ロシア語を専攻し、ロシア料理店でアルバイトを続けた経験から、「食」はもっとも身近でとっつきやすい異文化交流だと、体で感じている。大阪大学と提携するサンクトペテルブルグ大学の学生と協力し、事前にロシアにおける日本の食文化の意識についてアンケートを行い、その後現地で日本食に関する書籍を置いている書店での聞き取り調査、外食産業の視察などの実地調査を行いたい。

※「遼」51号にレポートの要約が掲載されています。


第15回(2011年度)

井上茉耶
「ロシア正教徒の目から見る山下りんのイコン」

 『街道をゆく 奥州白河・会津のみち』のなかで出会ったロシア正教会のイコン(聖像画)画家山下りん。明治時代、ロシアで絵画を学んだ彼女が描いたイコンを見たときに衝撃をうけた。ロシア正教の正統なイコンと比べると「美化された」印象をぬぐえず、これをイコンと呼べるのかという疑問を取り払うことができない。山下りんの生涯を詳しく調べるとともに、正教徒の人々の声を聞くために、彼女の作品が数多く存在する北海道及び東北エリアの教会を訪問し、宗教画としての真価をさぐりたい。東北では、震災被害が大きかった地区の教会及びイコンの現状も確認したい。

※「遼」47号にレポートの要約が掲載されています。

岩見有希子
「現代における中国内陸部の生活について」

 急速な経済発展を遂げる中国において、比較的貧しい地域とされる内陸部の人びとはどのような生活をしているのか。『街道をゆく』を読んだことがきっかけで、今の中国を自分なりに読みときたいと思った。中国北西部・甘粛省を中心に、教育、医療の現状と人々の生活の変化などを調べるとともに、自分と同世代の学生たちから将来へのビジョンや価値観を聞き、中国沿岸部や日本の学生と比較、どう異なるのかを検討する。将来医療に携わる者として、どのように医療機関を利用しているのかも知りたい。多くの人にとって、先入観のない等身大の中国を知る手がかりになれば、と思っている。

※「遼」47号にレポートの要約が掲載されています。


第14回(2010年度)

海野大和
「滋賀県志賀町守山地区の里山の今日的変容」

 司馬先生は野坂昭如氏との対談「日本の土地と農民について」(『土地と日本人』)の中で、「西日本の里山はほっといたらクス、シイ、カシなどになってしまう。もとの二千年以上前の景色に戻って、京都周辺でも照葉樹林が鬱然と繁茂して、景色が暗くなるだろう」と語っている。
 人の入らなくなった里山ではマツが枯れ、弥生時代以前のような照葉樹林が広がるという。私はこの言葉をもとに、滋賀県志賀町守山地区の里山をフィールドとして、昭和初期から現在にいたるまでの変容を生態学(植生の変化)と民族学(地元住民の生業の変化)の視点から調査したい。調査を通して、里山のもつ治水や生物多様性保全といった環境的効果と、農林業を支える財としての経済的効果を把握したい。その総合的な結果を、司馬先生の言葉とすりあわせ、私なりの里山の将来像を描きたい。

※「遼」43号にレポートの要約が掲載されています。

山﨑典子
「ドゥンガンの歴史と現在-中央アジアに住む中国ムスリムの末裔」

 中央アジア諸国には、回族(中国に住むイスラーム系少数民族)の末裔で、ドゥンガン人とよばれる約10万人の集団がいる。その祖先は、19世紀後半清朝の圧政に蜂起した回族のうち、ロシア領に逃げ込んだ人々といわれている。中国の回族と同じく身体的特徴は漢人とほぼ変わらず、イスラームの教えに従って暮らしているが、漢人の習慣にも影響を受けているという。
 このような非イスラーム諸国に居住するイスラーム系少数民族はどのようなアイデンティティをもっているのか、多様な民族、宗教、文化が混交、交錯する中央アジアにおいて回族が果たしてきた役割は何かを、ドゥンガン人集住地域のフィールドワークを通して考えたい。その成果を、中国・中央アジアの歴史や文化、イスラームや民族問題に関心のあるすべての人に発信したい。

※「遼」43号にレポートの要約が掲載されています。


第13回(2009年度)

川本悠紀子
「『最後の晩餐』の図像を読み解く-イエスはいつ座ったか」

 現在、我々が思い浮かべる「最後の晩餐」の図像は、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとするルネサンス頃に描かれた、座っている「最後の晩餐」である。しかし古代ギリシア、ローマ世界においては臥して食するのが正餐であり、初期キリスト教美術や東ローマ帝国の影響を受けた国々の芸術作品では、イエスや使徒が臥して食事をとる風景が描かれていた。椅子に座って食事をとるという図像の変化はなぜ起こり、いつから始まったのか。司馬作品を読んで気付いた史資料の調査と現地調査の重要性を意識しながら、諸史料や図像などの実証的資料を用いることで多角的に考証し、あわせて「最後の晩餐目録」を作成したい。

※「遼」39号にレポートの要約が掲載されています。


第12回(2008年度)

鈴木愛瑠
「フィリピンのストリートチルドレンの現状について」

 フィリピンにはなぜストリートチルドレンが多いのか、彼らがどのような環境で生き、どのようなことを考えているのか、街の人々にどう思われているのか、などを多方向的に取材し、その直面している問題を見つめたい。なかでも医療事情に重点を置き、彼らがさらされている不衛生な環境の現状と医療体制を調べたい。そして日本人として、また将来医療にたずさわる者として、自分に何ができるかを考察したい。『胡蝶の夢』を読み、いっそうその感を強くした。

※「遼」35号にレポートの要約が掲載されています。


第11回(2007年度)

堅田智子
「ザビエルや信長から連想する近江の『堅田』」

 フランシスコ・ザビエルは日本にキリスト教という新たな文化をもたらした。後に弾圧を受けた隠れキリシタンの精神は、ローマ・バチカンから讃美されることとなる。このことは逆に日本が与えた影響ではないだろうか。また、キリスト教に興味を抱いた織田信長は、仏教徒を弾圧した側面もあるがそれを保護する政策も実行し、安土城に教会建築をとりいれたりもした。このザビエルと信長というふたりに思いを馳せながら、滋賀県・堅田と同じ名字をもつ自らのルーツをさぐりたい。

※「遼」31号にレポートの要約が掲載されています。

小磯匡大
「ユーラシア北東部狩猟民の神話的思考-クマ送りを例に」

 近年までユーラシア北東部の狩猟民族ではクマ送り儀礼が行われており、キリスト教的思考とは逆のアニミズム、神話的思考を継承させた。この起源は旧石器時代まで溯ることができるという。探求企画では、サハリンのクマ送り儀礼の調査を通して、人間が他の生物を支配するといった考え方が広がってゆく中で、この無意識の思考体系がどういう意味を持つのかを探りたい。

※「遼」31号にレポートの要約が掲載されています。


第10回(2006年度)

赤川裕紀
「『橋と都市』ブルックリン橋とニューヨーク」

 ブルックリン橋とニューヨークの関係を文化、歴史、政治経済などの視点から多角的に調査し、近辺の景観維持の取り組みや橋の抱える問題などをルポタージュ形式にまとめる。「何が都市を魅力的にするのか」を、主に「橋と都市との関係」という面からさぐりたい。八百八橋といわれるくらい橋が多い大阪の発展、飛躍に生かしたい。

※「遼」27号にレポートの要約が掲載されています。

菅 恵
「幕末福岡藩に生きた人々~新時代に乗り遅れたある藩の姿」

 佐幕派であった十一代藩主・黒田長溥の尊皇攘夷派弾圧によって、薩長等の雄藩連合から脱退することとなった福岡藩。そのために明治という新時代に、いわば乗り遅れてしまった。
 しかし当時の家老の日記には、対立する間柄にもそれぞれに多くの立場があり、均衡を保とうとした人々の姿があった。彼らが何を思い、また何に突き動かされて藩政に携わったのかを図録にまとめることによって、ほとんど知られることのない幕末福岡藩の歴史を描く。

※「遼」27号にレポートの要約が掲載されています。


第9回(2005年度)

谷明憲
「中国少数民族・ナシ族への思い」

 中国・雲南省を旅し、司馬遼太郎が『街道をゆく20 中国・蜀と雲南のみち』(朝日新聞社刊)で書いた街道の風景を、トンパ文字や舞踊など独特の文化をもつ雲南のナシ族の生活様式、民族の生き方とともに描く。

※「遼」23号にレポートの要約が掲載されています。


第8回(2004年度)

涌井健策
「土地と文明~日本・オランダをめぐって~」

 土地と日本人について、司馬さんが私たちに警鐘を鳴らし続けた土地問題をオランダで考えたい。
 アムステルダムの再開発地区、ロッテルダムのキューブハウスなどを調べて、自然調和型の効率的土地利用法を考える。
 また、21世紀の私たちと土地との関係から、未来にあるべき姿を探る。

※「遼」19号にレポートの要約が掲載されています。


第7回(2003年度)

佐野尭
「『はな』-明治の時代精神を体現した女性の研究-」

 北里柴三郎の世話をし、コッホ夫妻とともにドイツに渡って死ぬまで仕えた日本人女性がいた。彼女を通じて、進取と気概に満ちた明治の時代精神を研究する。

※「遼」15号にレポートの要約が掲載されています。

權義文
「中国内蒙古の『日蒙』『蒙日』辞書作成」

 留学・ホームステイで辞書の不備を実感し、自分で集めた3000語の基本単語をもとに、中国内蒙古自治区のモンゴル辞書をつくる。

※「遼」15号にレポートの要約が掲載されています。


第6回(2002年度)

須藤義人
「弥勒仮面が来訪した『海上の道』を探る 黒潮の流れに沿って『南波照間島』伝説から弥勒信仰へと結ぶ視点」

 「南波照間島」伝説から弥勒信仰へと結ぶ視点から、「弥勒」が沖縄方言化したとされるミルク神の起源を訪ねる。弥勒神が来訪した「海上の道」を仮面/仮装・仏像を手がかりとして沖縄諸島・中国江南・ベトナムにおける<弥勒イメージ>を調査する。

※「遼」11号にレポートの要約が掲載されています。

高橋宏幸
「地域からの創造-パブリックシアターの研究について」

 公設であるが、運営はNPOが行うパブリックシアターの運営方式を研究する。地域(ローカル)と結びつきながらグローバルに情報を発信できるパブリックシアター。その先進地域であるアメリカでフィールドワークを行う。

※「遼」11号にレポートの要約が掲載されています。


第5回(2001年度)

該当者なし


第4回(2000年度)

西條博子
「変革を生きた中央アジアの若者たちはいま」

 旧ソ連が崩壊して10年。中央アジア諸国の若者たちはそれまでの人生設計の変更を余儀なくされた。社会変革を生きた彼らが、人生観、価値観、国家観などをどのように変えたのかを、現地取材し、ルポルタージュにまとめる。

※「遼」4号にレポートの要約が掲載されています。

松尾一郎
「ロシア極東における森林に依存する少数民族の状況」

 ロシア極東における森林政策は、資源開発優先の国家と森林に依存する少数民族という構図があり、ソ連崩壊後の今も続いている。現在、森林伐採などに従事する少数民族の生活を通し、森林管理・開発における彼らの立場などを調査し、あわせて木材輸入先である日本についても考察する。

※「遼」4号にレポートの要約が掲載されています。


第3回(1999年度)

守屋靖裕
「金剛峰寺所蔵の諸尊仏龕を請来したのは空海か?」

 空海ゆかりの品と伝えられる仏教美術品の1つに高野山金剛峰寺所蔵の諸尊仏龕(枕本尊)がある。これは空海の「ご請来目録(持ち帰った品のリスト)」の中に記されている仏龕に相当するといわれているが、果たして本当にそうであるかを探る。

※「遼」3号にレポートの要約が掲載されています。

長谷川悠里
「日伊の歴史教科書比較-特に“別国期”について-」

 日本とイタリアの中学、高校の教科書全体の比較を行いながら、ファシズムに焦点をあてた調査・紹介を行う。

※「遼」2号にレポートの要約が掲載されています。

柏木舞子
「離島の『商い』実態調査-沖縄県・八重山諸島-」

 沖縄県の与那国島を中心に離島の「商い」が、その島の経済をはじめとする生活環境に、どんな影響を及ぼしているか、調査・研究する。

※「遼」2号にレポートの要約が掲載されています。


第2回(1998年度)

佐野一道
「モンゴル語劇 草原に帰る日」

 司馬遼太郎著「草原の記」をモンゴル語劇化、大阪外大の文化祭で上演する。

※「遼」5号にレポートの要約が掲載されています。


第1回(1997年度)

本間新
「草原への夢」

 モンゴルに滞在し、モンゴルの大自然、人々の生活、それらの調和を描き出したドキュメンタリー映画を製作する。

※「遼」3号にレポートの要約が掲載されています。

瀬川智子
「坂本龍馬と土佐」

 実家にある坂本龍馬の肖像画をもとに、先祖の出身地土佐を訪ね、その入手経路及び先祖と龍馬の関係を明らかにする。また、土佐から生まれた南学が自由民権運動にどう結びついたのかを調べる。

※「遼」5号にレポートの要約が掲載されています。

李里花
「司馬遼太郎さんが在日コリアン三世の私にくれたもの」

 アメリカの日系人コミュニティ、大阪の在日コリアンコミュニティにおいてフィールドワークを行い、彼らにとって日本とは、日本人とは、そしてアイデンティティは何が基本になっているか調べる。

※「遼」2号にレポートの要約が掲載されています。