大書架に置かれているノートに書かれたメッセージの一部をご紹介します
(このページは毎月初めに更新、前月のメッセージを掲載しています)
2024年6月
母の影響で、司馬先生の作品を読むようになり、まだまだ読破はできていませんが、今回初めて来館し、直筆の原稿を目にし、また、司馬作品を手に取ってみようと思います。
司馬作品に現れる人物がどれも本当に魅力的で、日本人である自分も同じ国の人間なんだと思うと、ワクワクして走り出したい気分になります。渡米した際も、先生の本を持参していたことを今思い出しました。
人間がどういう瞬間に心燃やすのか、それを知りたくて折々に手にとり読み返しています。クスッと笑える独自の視点も大好きで、JR河内永和駅からこちらへ歩く街並を眺めながら、「このような風景を眺めながらあの文章が生まれたのだなあ」と空想しました。
人生を伴走してくれる本を生みだしてくださり、本当にありがとうございました。
いつも苦しい時、辛い時、昔の人達に元気付けてもらいたい時に訪れています。
苦しい中を切り開いて生きてきた多くの歴史の中の人と出会い、元気をもらい励まされています。
「俺の時は、もっと辛かったけど、乗り越えたんだ。お前がくじけてどうする。俺もやれたんだからお前もやれる!」という言葉が聴こえてきます。ふてくされず、絶対に諦めない。苦難は福門に通じる。
明るく楽しく元気にがんばっていきます。
激励をありがとう。司馬さん!
司馬先生の本は何点か少しずつ読んでいましたが、特に興味を持つようになったのは、2008年にインドネシアに行ってからです。当時NHKのワールドプレミアムで年末の「坂の上の雲」が2~3年にわたって放映されていました。
そこでの秋山真之、好古、正岡子規を通しての明治期、日露戦争を改めて見直し、感動しました。以降司馬先生の小説がますます好きになり、今は『菜の花の沖5』を読んでいます。あと何年生きられるか判りませんが少しでも先生の書いた物を読んでいければと思っています。
今日はすばらしい物を見させて頂き、ありがとうございました。
一人の日本人、そして二十一世紀を生きる若者として、歴史上の先輩方の名に恥じぬよう、精一杯生きようと思います。
賢者は歴史に学び、愚か者は経験に学ぶといいますが、私は両者も、学んでいる事に変わりはないので、どちらも良いと思います。一番良くないのは、学ばないことですよね。
日本は戦争、敗戦という経験に多くを学ん……でいるとは思いますが、司馬遼太郎という男はそんな経験、歴史を糧として書物という作品として現代、私達と対話をしている。このことはとても素晴らしい事だと、私は思う
そのことがらは何に於いても「二十一世紀に生きる君たちへ」を拝読しますと、もしどこかで司馬先生にお会いできたら、お話できる話題が増えたのかなと自身の経験に変換することができます。不思議ですが、確かな感覚です。
今、先生がいらして、二十一世紀をご覧になられましたら、何とおっしゃるでしょうか。二十世紀よりも人々の自己愛が強くなっているように感じますし、私以外にもそのように見ている方が沢山いるそうです。人との関わり、つながりも希薄になってきています。よいところもきっとあります。ぜひお話したくなります。
先生、今度もありがとうございました。またお邪魔いたします。
凄まじい本の数に圧倒されました。
たくさん書いたということは、たくさん知っていたということ。私も知的好奇心を大切に様々なことに触れていきたいと思いました。