大書架に置かれているノートに書かれたメッセージの一部をご紹介します
(このページは毎月初めに更新、前月のメッセージを掲載しています)
2024年10月
これからも司馬先生の本を読み続けます!来れてよかったです。
このノートに書かれたみなさんの思いを読んでとても心あたたかくなりました。歴史を知らないにわかではあり笑われそうですが、家に帰ったら父にこの記念館のことを話してみようと思います。
コンクリートに緑の草木たち、夢のような本棚をみられてよかったです。
今回初めて来て、日本のこと、歴史のこと、宗教のこと…非常に多角的な面で「想って」おられる方なのかと認識いたしました。
今度は小説にも触れてみたいと思います。
数年前に記念館が存在するということを知ってから、一生涯の内に一度は訪れたい、と思っていて、漸く本日、来館することが出来ました。
初めての大阪へのひとり旅になります。何の為に関東から関西に行こうと思ったのか?それは司馬遼太郎記念館を訪れたい、という思いからです。
これからも、先生の著作を読み続け、沢山の人達の為に、力を尽くして行きたい、と思っています。
以前より、もし無人島に何か一つだけ読むものをもっていくとしたら何をもっていくだろうか、と考えた際に、ふと〝世界史の書かれたもの〟を思い浮かべたことがあります。世界のある時、どこかで生きていた人の、営みとその人が考え発した言葉が描かれ、残されたもの。人間が人間であることの足跡。司馬遼太郎先生が残された膨大な物語と、その世界は、若い自分の私自身が無人島にもっていきたいと願ったそのもの、のような気がいたします。
この記念館に来館し、時と空間を超越して思いを巡らせることができました。静かな感動を、このさきずっと温かく持ち続けていきたいと思います。
また「助け合い」「たのもしく」生きられるよう、日常を大切にしていきたいものです。また来ます。
目の前に〝寝待りの藤兵衛〟が居ればそう言って笑われるかもしれません。今年だけで8回目の来館となります。
『竜馬がゆく』を高校の図書室で手にしてからはや四十年。以来同作だけでも五回は読み返しましたが、その時々の年齢、社会的立場、家族のあり方まで異なった受け止め方ができるのが司馬作品ならではですね。例えば『坂の上の雲』なら、若い頃は「子規パート」を退屈に感じましたが、今はその良さが分かります。この前も秋の空を見て一句詠んだくらいです。
これからも司馬作品を読み続け、司馬さんの境地に一歩でも近づいていきたいと思います。いや近づけていますでしょうか。
「旦那、それは気のせいでございますよ」と藤兵衛に笑われるかもしれません。
「藤兵衛、おまんはこの書架の蔵書を見て何も思わんがか、だからおまんは…」と言い返してやりますがね。
雨の日は初めてです。今から岸本葉子さんの講演「AIと俳句」を楽しみたいと思います。
司馬さんの作品を、14年前パートナーに言われ、ここまで、自分の力になってくれるとは、正直、考えていませんでしたが、愛する人を失ったり、様々な事を経て、ようやく今だからこそ、その有難みを感じています。それは、今後もきっと変わらないでしょう。深い、感謝を込めて。
人生、困難や災難は畳み掛けるのが常である。
そのような世界でも惰性で生きるのには長すぎる。
「人」のあり方、深く考えた。若輩者の今だからこそ、今日の経験を胸に刻む。
大好きな祖父とも司馬先生の作品を通して、共通の思考を理解することが出来ました。
24歳の私には、まだまだ読み、学べていない作品があります。数年後、また違った知見で訪れたいです。
司馬さんは、主人公を通してその時代を描写するのが、読む側として、日本人とは?という大きなテーマにあっている気がします。
退職して現在技術コンサルティングをしていますが、〝日本人とは?〟という大きなテーマにこれから研究したいと思っています。